★追悼・伊藤俊人★
2002年5月27日
伊藤俊人(1962年2月16日−2002年5月24日)A型
身長167cm、体重52kg
新潟県新潟市出身
日本大学芸術学部演劇学科演技コース卒
劇団東京サンシャインボーイズ(脚本家・三谷幸喜主宰)所属←三谷幸喜とは大学の同期(戯曲コース)
太田プロダクション所属
甲斐高風GRAND PRIX1996年役者部門受賞
スタイリスト・上條栄子と結婚(2000.10.)
くも膜下出血で死亡(享年40)
貴方がお亡くなりになったことを、テレビのニュースで知りました。
最初に頭の中から出てきたものは、大きな「?」でした。ニュースの意味が理解できなかったのです。
なんとかニュースの意味が理解できて、次に頭の中から出てきたものは、「そうか、貴方はニュースでその死が取り上げられるくらいの役者になっていたんだ」という、不謹慎な感心でした。
それから、貴方のことを少し思い出してみました。
もちろん、私はブラウン管越しでしか貴方を知らないのですが(舞台劇『君となら〜Nobody Else But You』1997も『Vamp show』2001も生では観れなかったのです)。
『3番テーブルの客』(1996.10.-1997.03.)や『踊る大捜査線』(1997.01.-03.)や『TRICK2』(2002.01.-03.)でのゲスト出演での爽やかな好演から凄みのある怪演まで幅広い役を演じた貴方も好きでしたが、
やはり私にとっての貴方の原点は『王様のレストラン』(1995.04-06.)の和田一であり、
『警部補・古畑任三郎』(1994.04.-06.)『古畑任三郎』『巡査・今泉慎太郎』(1996.01.-03.)『古畑任三郎』(1999.04.-06.)の桑原万太郎であり、
『ショムニ』(1998.04.-06./2000.04.-06.)の野々村人事課長でした。
「主役ではない誰かの相方」として、空前の演技力も絶後のカリスマ性もなくても、そのきびきびとした声と動きで物語を確実に進め、堅実に締めるためにいなくてはならない、そんな貴方を見ているのが好きでした。
それは、いつしか演技だけではなく『笑っていいとも』のテレフォンショッキングや『ごきげんよう』や『徹子の部屋』といったトークバラエティにまで広がっていました。
貴方のことを思い出しているうちに、家族から連絡が入りました。私の家族は皆、私が貴方のファンであることを知っていましたし、程度の差はありましたが貴方のファンだったのです。
父は、貴方が東京サンシャインボーイズの出身であることは知りませんでしたが、桑原君であることは知っていましたし、いつも『踊る!さんま御殿!!』での貴方のトークを楽しんでいました。
父も、他の家族も、そして私も、演劇マニアでもテレビドラマフリークでもなく、役者や芸能人に対する先見の明など全くありません。
だから、甲斐高風の文章では、ましてやこんなところに書かれた文章では、ましてや貴方がお亡くなりになられた後に書かれた文章では、絶対に貴方には届かないのですが、それでも貴方に届けたい言葉があるのです。
貴方の輝きは、我々に、ただの凡人である我々に、ちゃんと届いていたってことを。そしてそれは、本当はもっと多くの人に届くはずだったってことを。
心よりご冥福をお祈りいたします。
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