孫呉推進小委員会の方針

 

伝は孫呉を応援します

 「三国志演義」は、その原型が南宋時代(中原を失い、失地回復を図る亡命王朝)に固まったという歴史的経緯もあり、漢王朝の復興を大義とする蜀漢の劉備玄徳が主人公に据えられています。劉備に対置されるのは、漢室を傀儡化し、帝位を簒奪する曹魏。物語は劉備と曹操、蜀漢と魏の戦いが主軸として展開していきます。
 一方、三国最後の一国、呉の扱いはあまりにも軽いと言わざるを得ません。呉が物語の主舞台に登場するのは、主に蜀との関係においてです。樊城の戦いからの荊州争奪戦(219年)、夷陵の戦い(222年)は蜀との攻防であり、赤壁の戦い(208年)などは軍事的には純然たる魏呉間の戦争でありながら、呉軍に逗留した諸葛亮の方が活躍している印象すらあります。その後の魏呉間の軍事衝突である合肥や儒須口の戦いなどは極めて扱いが軽くなっています。
 無論、これには仕方ない部分もあります。中央政権である魏は「正統王朝」として天下を統一し、民を安んじるという戦略目標がありましたし、漢朝の復興を目指す蜀漢は「簒奪者」魏を滅す必要がありました。蜀と魏はその意味で「不倶戴天の敵」だったのですが、呉はどちらかというと、もともと中央政府の統制力の弱かった江東の在地豪族の連合政権としての色彩が強く、政権の存在意義は在地豪族の既得権益の維持増進にあったと思われます。また、黄巾の乱以降の華北の戦乱を避けて、多くの人口が江東・江南の地に移住してきており、孫呉政権には彼らを生産力として組み込み、江南の開発を進めるという内治の戦略目標のほうが喫緊の課題でした。結果、孫呉の外交・軍事戦略は「割拠」が最大目標となり、魏や蜀との同盟・交戦は、「一方(主に魏)が力を持ちすぎて江南の安全が脅かされないように」という視点で展開されます。
 蜀に対して攻撃を仕掛けた「荊州争奪戦」にしても、荊州南郡(江陵)を中心とする地域は長江上流域にあたり、長江を防衛線としていた孫呉政権にとって、国防上他勢力に渡すわけにはいかなかった土地です。長江北岸の合肥・儒須口も含め、孫呉にとっては「割拠のための国防拠点争奪戦」でしかないのです。
 こうした事情のためか、世にいくつかある三国志を題材にした仮想戦記ものの小説などでは、呉が主役になることはほとんどありません。多くは物量の上で劣勢で、魅力的な人材の多い蜀が天下を統一する筋立てになっています。
 「隙間産業サイト」である伝としては、この、どう考えても覇権からは程遠い孫呉に天下統一のチャンスはなかったのか、考察していきたいと思います。

 

3つの転機

 とはいえ、仮想戦記小説を書くのは時間も体力もかかるものなので、歴史を振り返って「もしこのときこうだったら、呉が覇権を握られたかも」という考察をしていきます。シミュレーションゲームでも戦記小説でもないので、基本的には史実を尊重し、仮定の補助線はスタートだけ、というルールを課します。
 戦略を考えるにあたり、前提となる状況については基本的には史実を尊重します。といっても、基礎文献などに当たって十分な研究ができるわけではないので、関連書籍やネット上の情報などを総合して判断します。(大学で東洋史学を専攻したんだから、史書に当たるくらいしろと言われそうですが)
 さて、そこで孫呉にとっての転機となるべき出来事、もしかしたら孫呉の未来が好転していたかもしれない不幸な歴史を取り出してみます。ご存知の通り、孫呉は蜀漢や曹魏と違い、孫堅・孫策・孫権の3代で国家建設がなされました(魏は2代目の曹丕が初代皇帝になっていますが、国家としての体裁は曹操が完成させていたといえるでしょう)。孫堅、孫策の死はあまりにも早すぎるものであり、若くして一方の群雄にのし上がった彼らがもっと長生きしていれば、あるいは歴史は代わったかもしれません。
 孫策は死に際して弟の孫権に「お前は軍を率いて戦い、天下を狙うことにかけては私には及ばないが、賢者を招いて江東を保つことにかけては、私はお前にかなわない」と述べています。実際、孫権の代になってから孫呉政権は版図拡大こそ続けるものの、前述の通り、割拠を目標とする地方政権色を強めていきます。孫策が死ななければ、どうなっていたでしょうか
 孫策・孫権の父である孫堅は、黄巾の乱前後から各地の反乱鎮圧に功績のある有名な将軍でした。孫堅の死後、孫策は袁術の庇護を求め、しばらく雌伏のときを過ごします。孫堅が死ななかったとしたら、孫氏の勢力はどうなっていたのでしょうか
 また、赤壁の戦いの後、呉の大都督・周瑜は荊州南半を領有しようとしますが、諸葛亮らに阻まれてこの土地を劉備に「貸与」してしまいます。劉備はこの地を足場に益州を下し、天下三分の形成が定まるのですが、益州併呑は孫呉政権でも魯粛や甘寧らが唱えていた策です。荊州南部を劉備に渡さず、益州併呑を図っていれば、孫呉政権はどう展開したのでしょうか。
 「孫呉推進小委員会」では、この3つの仮想を題材に、孫呉の覇権への道のりを考察していきたいと思います。

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