論撃を科学する


 キャプテン・ラヴのプレイレポートやレビューなどを色々と見て回っていて、気になることがありました。それは、ラブラブ党並びに「論撃」に対する評価が全般的に低い、ということです。
 いわく、「ただの変態コスプレ集団」、「愛の敗者」。いわく、「ただの口げんか」、「愚痴」。
 違う違う違う!
 ラブラブ党は、論撃は、そんなものではない! と声を大にして言いたい。
 小生はラブラブ党並びに論撃を高く評価する立場から、両者について論じてみようと思います。

 1)ラブラブ党

 党組織などについての推察は別項に譲るとして(執筆中)、ラブラブ党の社会的意義並びに思想史的意義を考えてみます。
 まず、社会的意義について言えば、ラブラブ党は地下組織や政党(?)というよりも、新興宗教に近いと言えるでしょう。こうしたサイトのこうしたページに名前を出すことは先方にとっては不本意かもしれませんが、共産党や創価学会の内部コミュニティに極めて近い構造・メカニズムを持っています。というのは、外の社会で悪意や欺瞞、ねたみなどで挫折し、傷ついた人が、党という閉じられた世界では善意に囲まれて心の安寧を得、党員として党の理念を絶対の正義と勘違いするために、党外に対しては極めて攻撃的になるというメカニズムです。いわば、心の隙間に染み込んで、依存症にするといったところでしょうか。
 ゴージャス・ラブのゴージャスな誠意に対するサラリーマン部隊の言葉「家族に見捨てられた我々にとって、ラブラブ党は家族同然」は、党のこうした性格を正しく示していると言えるでしょう。
 この意味において、ラブラブ党は実は「非現実的ではない」存在なワケです。
 おそらく、「涙を流した分だけ、誰かをもっともっと愛せる気がする(World Birthday)」というように、愛によって挫折を知っているだけ、またお互いの境遇が似ている分だけ、彼らは党内部では極めて穏和で、優しい暖かみのある人々なのでしょう。であれば、そうしたコミュニティを成立せしめている思想=愛の共産化を党内のみならず党外、世界全体へ及ぼしたときに、理想郷が現出すると考えることになります。この思考法を採るとき、それを邪魔する存在は全て「悪」と断罪されます。
 極論、と思うかもしれませんが、そうでもありません。実際、この手の政党や新興宗教では、自分たちの考え方を絶対視するあまり、違う考え方の存在に対しては不寛容であることがしばしばです(なお、類似点の多々指摘される左派系のセクトに関しては小生がその実体についてほとんど知らないため、比較は出来ません)。
 次いで思想史的意義について論じるときには、まずみなさんに「オリジナル・キャプテン・ラヴ」こと、岡野勇さんのHP(Captain Loveの電脳秘密基地 内の「ラブ撃! 妄想録」参照)を見ていただきたいと思います(岡野さんはキャプテン・ラヴの「原作者」ということになっています)。そこにはキャプテン・ラヴこと岡野さんの「愛」に対する考え方が書かれています(特に査問会におけるキャプテンの議論に注目)。
 概略を言うと、「俺はこれまで愛なんてものは見たことがないから、愛ってのは実は存在しないんじゃないか? 世間のバカップルどもの間のあれは愛なんかじゃない。本当の愛ってのがあるとしたら、それはもっと素晴らしく崇高なもののハズだ」。で、彼は街中でいちゃいちゃして世間の迷惑になるバカップルどもに天誅を加えるべきだ、論じています。
 お分かりのように、彼の論理はすれすれのところまでラブラブ党のものです。しかし、彼がキャプテンである所以は、愛を全否定するのではなく、その向こうに「真実の愛」があるかもしれないと考えている点にあります。
 お分かりですね。PS「キャプテン・ラヴ」の用語でいえば、「バカップルの愛=ラブ」、「真実の愛=ラヴ」なワケです。
 ラヴラブを否定したときにはじめて認識されるものだとすれば、ラブを否定するラブラブ党は、バカップルよりも思想的には一歩進んだ存在と言えるでしょう。ラヴは外形的にはラブに近いものかもしれませんが、その本質的存在としては全く別種の、高次元の概念なのです。
 世間に蔓延する、独りよがりで一方通行で……(恋人よりも「愛」そのものが目的化されていたりとか、身体目的だったりとか)な愛=ラブを「テーゼ」とするならば、「愛の共産化」として男女間の排他的な愛を否定するラブラブ党の論理は「アンチテーゼ」と言えるでしょう。ラブラブ党の論理には確かに一理あります。この2つの論理に目配りしながら「アウフヘーベン」したところに真実の愛=ラヴが見えてくるのではないでしょうか。
 「思想史的意義」とはこういうことです。

 2)論撃

 論撃はただの口げんかではありません。ラブラブ党員にとって、論撃で口にする論理は彼らが入党するきっかけとなった「ラブ大事件」であり、彼らはその傷、その経験を克服できないからこそ党員であるより他ないわけです。そんなラブラブ党員と戦う方法として、論撃以上に相応しいものは想像できません。
 この意味で、小生は甲斐高風先生が「他の党員みたいに自分の失恋話を延々としたりはしていない」とマッキーを賞揚するコメントに異議を表明します。
 なお、この節における議論では、理想的な論撃スタイルを想定した上でのものであり、ゲーム中の全ての論撃がこのパターンに当てはまるわけではないことを付け加えておきます。具体的には、ラブ・キャバリアーズNo.3、クラッシャー・アイアン関、軽音部・蓬田、キャット・ザ・ティーチャー、シングルバニー、ラブセイバーズ・磯田の論撃を「理想的」と形容します(マッキーと芹沢嘉門については保留します)。
 論撃に破れたものが立ち直れないような精神的ダメージを受けるのは、彼らがラブラブ党員として活動してきた信念を裏打ちする部分を直撃するからに他なりません。大きな心の傷、超えられなかった心の壁。愛を貫くために誰かを犠牲にすることが、本当に出来ますか? 愛する人に裏切られて、それでも愛を信じられますか? 好きなことの初デートで大失敗したら、やっぱりグループで楽しむ方がいいとは思いませんか? 現実にそんな局面に立たされたとき、本当に彼らラブラブ党員を「愛の敗者」と笑えるような行動をあなたはとれますか?
 多くの場合、党員の彼らにも、「正解」は分かっているはずです。愛の共産化という党議を知らない、普通の人間なら思いつく正論。例えば蓬田なら「二人のうちどっちが大切か決める覚悟がないのが悪い」ワケだし、キャット・ザ・ティーチャーにしても「もう恋なんてしない」なんていうのは普通は一時の感情で、そのうち「新しい愛」が見付かるものです。
 しかし、「愛の共産化」という救いの論理を知ってしまった彼らにとっては、こうした「正論」は口先だけの空虚なものでしかありません。「何があっても君への愛を貫く」と言われていながら裏切られた女性が、同じように口先で何を言われても、もはや信じることは出来ないはずですから。
 であれば、論撃はただの口げんかではあり得ないのです。キャプテン・ラヴの言葉には、彼らを納得させる重みがなくてはなりませ。そしてその重みを生じさせるものは、キャプテンの生き様そのものでしか有り得ません。
 「二人の女性を中途半端にしか愛せないお前が悪かったんだ」という言葉の裏には、二人の女性に対して毅然とした態度をとる覚悟をキャプテン・ラヴが決めている必要があります。「何があっても愛を貫く」というのなら、本当に試練を乗り越えてみせる必要があります。男の言葉はそうして重みを加え、輝きを増していくのですから。
 ラブラブ党員にとってもっともショッキングなのは、彼らの超えられなかった心の壁を、毅然と乗り越えていくキャプテン・ラヴのその姿に他なりません。
 だから、論撃の際には躊躇いがあってはいけません。理解や同情を示すのは彼らのためになりません。シングルバニーが敗戦後に述べているように、論撃で破れることは、彼らの心の整理には極めて重要な役割を果たすのです。
 逆に、ティーンズ・イエローのようにラブラブ党の論理を論理のみとして繰り返しているだけの存在は、攻めにくいかわりに恐くもありません。実体験からにじみ出た思いよりも頭で理解した論理の方が大きな存在であるうちは、その言葉には重みがないのです。論理には論理で答えればよいのですから。よしんば論破できなくても、こちらが論破される恐れもありません。「超えられなかった心の壁」がないのですから。口先だけの議論なら、なんとでも言えるでしょう。
 これらを総合したとき、ラブラブ党最良の論撃使いは、小生は「シングルバニー」だと考えます。

 3)結びにかえて

 理解できる人が少なそうな文章なので結びには不適切かもしれませんが。
 小生がTRPGでキャプテン・ラヴを扱おうと考えたのは、まさにこうした論撃に対する認識を下敷きにしています。
 言葉の遊戯であるTRPGにおいて、クライマックスシーンは言葉によって紡がれるべきだという立場はもとからありましたが、論撃はこのように、口先だけの争いではなく、心の内奥に直結し、また一方で直接的具体的表象的な行動にも依拠するという側面を持っています。つまり、セッション中のPCの一挙一動、発言の一つ一つが、論撃時の一言の説得力を大きく左右するわけです。
 こうして紡がれるのはまさしく魂の言葉、血ヘドにまみれた傷だらけの心の落とし子と言ってよいでしょう。
 論撃は、ゲームのような選択肢ではなく、実際に自分の舌でやってみるべきです。その時はじめて、論撃の本当の意義が見えてくると信じています。
 言葉を「紡ぐ」ことの難しさはありますが、それとは別に、間髪入れず言葉を返すのに必要な「覚悟」は相当のものです。勿論、心の扉を固く閉ざし、表層的な言葉の羅列を相手にすれば簡単な話なのかもしれません。でもそんなふうに造られた言葉は、相手の心にも届きはしないでしょう。
 相手を十分に理解し、本当に理解した上で否定する。しかしソコには、相手に対する愛もまた必要なのです。
 最後にもう一度だけ。自らの口で、舌で、喉で、頭で、心で! 論撃をしてみて下さい。論撃の素晴らしさが、きっとあなたにも伝わりますから。

 注)道行くカップルに論撃を仕掛けるのはやめましょう。

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