20世紀
GRAND PRIX


参加者(敬称略):白河水樹、Ludwig Wilhelm III、大魔王、匿名希望、満腹亭

誤字脱字の指摘から新規参加まで幅広くお待ちしておりますのでその節にはメールか掲示板で御一報下さい。


事件日本の台頭
 普段、私たちは当たり前に現在の満ち足りた生活を享受していますが、 世界から見るとこれは奇跡に近いことです。
 20世紀初頭には、まだ弱小国だった日本が欧米に匹敵する列強に なっていく過程で、白人は(不承不承ながら)有色人種を見直し、 有色人種は励まされてきたのは事実です。
 それだけでなく敗戦後の発展も海外からすれば奇跡であり、他の国の モデルとなってきました。
 敗戦後の日本に来た米人は、廃墟でチョコレートをねだる子供を見ながら
「自分が生きているうちに、この国で子供がチョコレートを買える日は来るま い」
 と思ったそうですが、今ではチョコレートどころか、不況と言いながら 収入のない人間でも携帯を持ち歩いている、少しズレた国になっています。

事件原爆投下(1945年)
 広島人である私としては、やはり「原爆投下」。
 昭和20年8月6日、午前8時15分に広島は廃墟と化した。

 私は戦争を経験した世代ではないのですが、小学生の頃からずっと
「戦争、終わったときには憎しみや悲しみしか残っていない」
 と聞かされて育ったので、命の重みは分かっているつもりです。

 今の日本は人間を消耗品同様に扱っているように思えます。
資本主義社会だから仕方ないのかもしれませんが、 なにかが違うような気がします。

 …っと、話が反れましたが、私のグランプリ20世紀と言っていいのかは 分からないのですが、原爆が投下されたことは語り継いでいきたいです。

事件アポロ計画 月面着陸(1969年)
 宇宙開発の記念すべき1歩となりましたからね。

事件チェルノブイリ原子力発電所爆発事故(1986年)

事件自民党分裂(1993年)
 小生が物心ついた時点では、既に冷戦は「勝負あり」の状態でした。ドイツ統 一、ソ連消滅などは大事件ではありましたが、変化の実感には乏しい、遠い世界 の話でした。一方、ちょっとした政治オタクになっていた小生にとって、戦後の 日本政治をリードしてきた自由民主党の分裂はショッキングでした。以後の政局 ドラマは興味深く見守っています。ただ、新たな政治体制を模索する過渡期があ まりに長すぎるのが残念です。新進党の分裂がなければ……。

『小説十八史略』(陳瞬臣/1992年:講談社文庫)
 中国史を扱った小説。登場人物がステレオタイプ化されていて、掘り下げが浅 いなどの批判もあるが、中国史の「千年一日」的な繰り返しを再現する上では成 功していると思う。小生の歴史好きが政治史好きに確定され、日本史よりも中国 史に興味を持つ決定打となった作品。

ファンタジー小説エルリック・サーガシリーズ(マイケル・ムアコック/1984年〜1994年:ハヤカワ文庫)
 多くの人は「指輪物語」とか「コナンシリーズ」を挙げると思いますが、 私はこのシリーズや、姉妹シリーズであるコルムやエレコーゼを推します。
 このシリーズの主人公と来たら思考回路が妙に自分と似通っていて、 読めば読むほど他人とは思えなくなってくるので。
たまにHNに拝借させてもらうこともあります(笑)。

ホラー作家H.P. ラヴクラフト(Howard Phillips Lovecraft )
 ホラーといっても怖さはそれほどでもありません。
 ホラーとかそういうジャンル分けを超越した「ラヴクラフト」という ジャンルを確立したとも言えますが、それでは読んでない人には 訳分からないのでとりあえずホラーに分類されています。
 現代では時代遅れですが、当時の最新の科学知識も交えて書かれ、 宇宙と時空の深遠さを描いた作品群はSFとしても一流です。

SF作家ラリイ・ニーヴン(Larry Nieven )
 アシモフやハインラインよりも無名ですが、先人達の築きあげた、スペースオペラ、 ハードSFなどの様々なSFの美味しいところを集大成した、隠れた名手。
 リングワールドシリーズなどの長編が有名ですが、私としてはむしろ中、短編を 推します。

TVドラマ『炎立つ』(1993年:NHK総合テレビ)

邦画『映画 小説吉田学校』(1983年)
 元が小説で、映画化と劇画化されているという作品のため、どれを入賞させる かは悩んだ。「三木武吉」の吉田政権打倒への決意と執念を時々見返しては明日 への活力(笑)にする小生にとって、なくてはならない作品の1つ。

家庭用ゲーム『アイドル雀士スーチーパイめちゃ限定版』(1998年:ジャレコ/セガサターン)
 スーチーは、どれか1作というよりもシリーズとしてインパクトが強い。出来 ればゲー天も入れて、ね。ただ、本当に自分にクリティカルヒットを加えたのは 、実はめちゃ限以降であるような気がする。ファンをはじめから想定した作品作 りになってから、既にファンであった小生などは作り手の術策にはまっていった わけですな。特にめちゃ限としたのは、「撫でぷにモード」が小生の理性を吹き 飛ばしたからです(笑)。

参考資料スーチーパイ復興委員会


家庭用ゲーム・特別賞『キャプテン・ラヴ』(1999年:東芝EMI/プレイステーション)
 スーチーといずれを上にするか最後まで悩んだ作品。ただ、「最近やったばか りのものは実際よりも評価が高くなっている」という危険性を敢えて避けるため に次点、特別賞とした。「作品」としての完成度で言えば、文句なし。今更短い 言葉で小生ごときが語るものでもない。

参考資料『キャプテン・ラヴ』応援委員会


コンピューターゲーム『Wizardry』(アスキー、Sir-tech)
 世界観と物語性のあるコンピューターゲームのはしりであると同時に、 現在大ヒットシリーズであるドラクエ、FFの源流でもあります。
 今でもPS版のリメイクが出たり、ほぼ同じシステムのままのシリーズ 作が作られているというのもすごいことです。
 また8ビットコンピューターの時代に既に仮想3D空間を構築し、 意識を2Dから解き放ったのも特筆すべきです。

キャラクターキラ(1992〜1993年:『ヤダモン』 NHK教育テレビ)
 いわゆる悪役です。放映当時ガキだった小生は、「悪の美学」に彼女で初めて 魅せられました。いまから思えば決して彼女が「悪の美学」を綺麗に体現してい るとは言えないのですが。むしろ、「ヤダモン」という作品に登場する、キラ様 と対置されるべき善玉の無力さが、キラ様の印象を際だたせていたと言えるでし ょう。ちょうど政治に興味を持ち始めた頃だったのもきいているのかもしれませ ん。
 魔女の森の消滅という危機に対してあまりにも無策な女王。それとの対比にお いて、「闇への進化」を積極的に選択したキラ様は評価されます。ただ、闇の力 に溺れて、自分を見失っているところが残念ですが。ちなみに、コミックのキラ はその辺の覚悟がないので(というか、別作品)、全然評価できません。小説版 はまだよかったような気が……。
 小沢一郎とか三木武吉とか、ダーティーな印象の政治家に惹かれる「素地」を 用意したのは、小生にとってキラ様に間違いありません。
 あ、羽根を広げる前のキラ様の、清楚な感じの容姿もすごく好き。キラ=ヤダ モンはあの美しいキラ様のお姿を見る機会を奪った意味で、極めて勿体ないと思 う。

美女酒井法子(1971年〜)
 (これはあくまで私の好みですが) 顔面の骨格、各パーツの形状、配置や大きさなどの総合的な造作など 造形的に全く欠点というものが存在しない完璧な顔だと思います。
 流石に出産し30歳の大台を迎えようと言う今、衰えも隠せないが、 それでもそれを越える若い人もあまりいないのが現状である。
 ましてや10年前の美しさときたら....!!

実在の人物小沢一郎(1942年〜)
 竹下政治以後、小型化の進んだ政治家たちの中でほぼ唯一と言っていいパワー と志を兼ね備えた政治家です。その目指す国家観には賛否両論あってよいと思い ますが、その国家観を前面に打ち出し続ける姿勢そのものは評価に値するはずで す。某民主党のY副代表のように、「国民生活に喫緊の課題ではない」といって 憲法論議を先送りするような人物は政治家としては失格でしょう。平成研(自民 党橋本派)が憲法改正案をまとめたり、民主党の鳩山代表が改憲に前向きな発言 をしたりと、「思考停止」を脱却する動きが徐々に広がりはじめてきました。こ うした「小沢的なモノ」が政界全体で当然になったとき、小沢一郎はその歴史的 使命を終えるのかもしれません。

漫画『危険がウォーキング』(1986年〜1989年:星里もちる/徳間書店)

邦楽アーティストYellow Magic Orchestra
 単に売った枚数だけなら、もっと上がいますが、 海外のアーティストに影響を与え、解散後も多くのアーティストに 影響を与えたと言う意味で彼らを越えられる者はいないでしょう。
 それどころか現在の日本のデジタル楽器の発展すら、彼らの活躍なし ではあり得なかったとも言えます。
 前衛的、先進的であることと、芸術的であることと、商業的成功を 全て同時に達成したという点でも他に並ぶ者はありません。

「忘れないで」(1998年:かないみか&高橋美紀)
参考資料スーチーパイ復興委員会

食品「俺の塩90」(1999年:東洋水産)

スーパーカーLamborghini Countach(1971年PROTO TYPE LP500、1974年LP400 〜1988年5000(25th anniv.):Lamborghini)
 単に凄く速い乗用車、とか一般道向けにマイルドにしたレーシングカー、 ではなく、実用車や競技用車と一線を画した存在であり、人目を驚かす デザイン、奇抜なアイデアなどのはったりの部分も含めたスーパーな 車、「スーパーカー」というものが60年代後半から80年代にかけて 多数作られましたが、中でもその王道をいくのがこの車です。
 技術の進歩で、今はもっと速い車はいくらでも存在しますが、 「スーパーカー」としてこの車を越える物は市販されていません。


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