4月7日の神用賀

「ねぇねぇ、恭子さん、聞いて聞いて!」
 昼下がりのYOU&ME神用賀店に、セーラー服姿の少女が息せき切って飛び込んできた。彼女が通う神用賀高校の始業式は確か週明けだったはずだが、「空から舞い降りたセーラー服の美少女」を自称する彼女は、休日でも制服姿、どころか冬でも半袖セーラー服なので、今さら驚くことは全くない。
「どうしたの、佑紀ちゃん。もう、バイト中はあんまり邪魔しないで、っていつも言ってるでしょ」
 あえて、忙しそうな様子と、不機嫌な声色を作って応える。自己中心の上に図々しさをトッピングしたような彼女の相手をするには、このくらいにあしらうのがちょうどいい。
 4月7日、土曜。新年度に入って初めての週末であり、新社会人にとってはまず一息、の憩いの日。週明けには彼女、水野佑紀の通う高校でも入学式を迎えるはずだ。この日を待っていたかのように、街中の桜の樹は満開の花を咲かせ、新社会人、新入生たちを祝福している。
 老いも若きも花見に出払っているのか、YOU&ME神用賀店の店内は、普段の週末と比べると少しばかり閑散としている。ただ、今春から社会人になることを報告してくれた常連さんが数人、なぜか着付けないスーツ姿で遊びに来てくれたのが、嬉しくもある。1人はシューティング、ほかの2人は脱衣マージャンと、思い思いのお気に入り筐体に向かって真剣な眼でゲーム画面に見入りながら、あるいは忙しなく、あるいは慎重にスティックやボタンを操作する。
 新たな日常に戸惑う中で、これまでの日常から安らぎを得る場としてこのYOU&MEを選んでくれたことは、素直に嬉しい。収益率や客層の誘導などの理由から、店長はUFOキャッチャーなどのプライズ系に比重を移したいらしいが、こういう古くからの常連のついている筐体を減らしたくない、というのが正直なところだ。
「恭子さんったら、それどころじゃないんだってば。ビッグニュース、ビッグニュースよ」
 邪険に扱ってもへこたれない佑紀は、こちらの迷惑も構わずに駆け寄ってきた。もっとも、今の店内の様子なら、多少の立ち話くらいは問題なさそうだ。手の抜き方は弁えている。よく抜きすぎて店長に絞られるが。
 いつも幸せな白昼夢の中にいる佑紀だが、今日はいつにも増して機嫌よさげで、胸を張るようにしてこう言った。
「今度、佑紀ちゃんの美しさを讃える日が出来たの」
「はぁ?」
 素っ頓狂な声。自分で自分の声に驚く。幸いにもさまざまな筐体が競うように大音響を奏でている店内では、自分と佑紀くらいしか、その声に気付いたものはいなかったようだが。
 しかし、佑紀を讃える日、とはどういうことだろう。どこの馬鹿が、そんな酔狂な真似をするのか。この娘を調子付かせて、尻拭いをするのはほとんどの場合は私なんだから、と胸の奥で舌打ちする。
「ちょっと佑紀ちゃん、どういうことよ」
 わずかに怒気を孕んで問い詰めると、
「あのねあのね、日本記念日協会さん、ってところが、今日、4月7日を『スーチーユキちゃんの日』に認定したんだって。すごいでしょ」
「ちょっと待てーい!」
 即ツッコミ。
「違う違うちがーう。4月7日は『愛と正義のヒロイン、スーチーパイの日』って、前から決まってるでしょーが。勝手なこと言わないでよ」
「えーー? でもでもでも、時代は新しいヒロインを求めてるのよ。スーチーパイなんてイカサマ雀士じゃなくて、セーラー服美少女雀士を!」
 あんただって“新しい”ヒロインじゃないじゃない、というツッコミは、自分の首を絞めそうだったので押しとどめた。
「でも恭子さん、記念日認定のことはホントみたいですよ」
 佑紀とは別の小柄な少女が、脇から口を挟んできた。紺色のブレザー姿に身を包み、肩近くまで伸ばした髪は日本人離れした美しいブロンド。実際、日本人どころか、本来この世界の住人ですらないのだが。
 魔法の世界、ピーチ王国のプリンセスにして、神用賀で修行中の新人アイドル、篠原ありすだ。
「ありすちゃんまで。なんで記念日協会なんかが、このスチャラカピーを讃える日なんて決めなきゃいけないのよ」
「ちょっとー。恭子さん、いくらなんでもスチャラカピーは失礼なんじゃない?」
 付き合いの長い2人の間では、これくらいの言い争いなんて日常茶飯事。何年くらいの付き合いかは、自分の年齢にも関わるので考えるのはやめておくけれど。何度もこんな状況を目の当たりにしているはずなのに、ありすは2人の剣幕に気圧されて、
「あ、あの…。佑紀さんの日じゃなくてですね、スーチーパイの日として、認められたんですよ」
 …え?
 意外な言葉に、一瞬理解が遅れる。
「おめでとうございます、恭子さん」
 ありすから追い討ちに贈られる、祝福の言葉。これでようやく、喜びが全身に滲んで広がり始めた。佑紀は不平顔で、
「恭子さんだけの日じゃないんだからね」
と口を尖らせていたが。
 パチ、パチ、パチパチ――
 期せずして、拍手の音。
 スーツ姿の常連新社会人クンが、いつの間にかこっちを向いて微笑んでいた。私たちの会話、いつから聞いていたんだろうか。途端に耳まで真っ赤になる。いつもつるんでる佑紀やありすたちと、頻繁に顔を見て、言葉も交わしているとはいえ、常連客たちとはやっぱりちょっと違う。
 拍手が増え、音が大きくなった。
 新社会人クンの拍手を聞いて、ほかの常連客や、事態の飲み込めてない一見客も釣られて手を叩いているらしかった。
「恭子さん、おめでとう」
「佑紀ちゃんも、ありすちゃんも…」
 何が起きているのか分かっているらしい数人の常連が、口々に祝福の声をかける。その祝意が、自分にも向けられてることを知って、佑紀も、ありすも戸惑いと恥じらいの表情を見せた。ありがとうございます、と元気な笑顔で返すありすは、さすがは本業アイドルだが、いつも傍若無人な佑紀の方が、名も知らぬ人々からの好意に驚いているようだ。
 あぁ、そうだ…。「スーチーパイ」は私だけを指すんじゃない。佑紀やありす、ここにはいないが、早苗につかさ、みるくといったアイドル雀士軍団、悪魔のリリムやセシル、ジャンマー教の聖羅、美優里に留美…。神用賀のみんなを指した、代表としての名前なんだ。
 恭子さんだけの日じゃない、という佑紀の言葉の意味が、ようやくストンと腑に落ちた。
「みんな、ありがとう」
 私は多分、今年一番の極上の笑みで、自然に感謝の言葉を返していた。


 4月7日はスーチーパイの日。誰でも、どこにいても、神用賀の住人になれる、特別な一日…。
 そんな幸せな一日が、これから毎年、みなさんのもとに訪れますように。



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